娘のほっぺを食べたい(不育症・流産・死産を経ての育児奮闘記)

30歳:人工授精で双子妊娠、19週破水、21週流産。 31歳:体外受精で妊娠、33週死産。33歳:不妊治療休止中に自然妊娠し、2018.4出産。現在35歳、第二子妊娠中。2020.4出産予定です。 これまでの不妊治療の記録と、その後の家族生活をゆるゆる綴ります。

不妊治療に至るまで

同級生の夫と結婚したのは26歳の頃。
20歳の頃からのつきあいで長く同棲もしていたため、籍を入れたところで何が変わった感覚もありませんでした。
当時はお互いそれぞれの仕事に夢中で、夫は海外に単身赴任したりもしていて、それでも私も寂しいと感じる暇さえなく。
めいっぱい残業して同僚と飲みに行くのも気楽で楽しかったなぁ。

そんなこんなで「子どもはもうすこし先」と、夫婦で相談するでもなく考えること自体先送りにしていた28歳が終わる頃、私の身に異変が起こりました。
休日の昼下がり
外出先でひとりのんびりしていたところ下腹部に急な激痛が走り、声も出ず動けず、その場にうずくまってしまいました。
痛みの質と箇所から、なんとなく婦人科系かなと思った私は、その場で休日も診療している婦人科クリニックを探し、そのままタクシーでクリニックへ。
歩くどころか車の振動でも痛みを感じるほどでした。

診察結果は、多嚢胞性卵巣症候群による卵巣の腫れ。
たくさんの卵胞がひしめき合い卵巣が肥大しているとのことでした。

続いて、この症状が不妊の原因となり得ること、もし妊娠を希望しているのなら治療が必要なことを告げられました。
初めて聞く症状名に驚く間もなく「不妊」を突きつけられ、それまで特に妊娠を希望していたわけでもなかったのに急に自分の年齢に焦りを覚え、混乱しながらもその場で不妊治療を希望しました。

まずは基礎体温を記録すること。
恥ずかしいことに、私は自分の生理周期すら把握していませんでした。
なんとなく1ヶ月ちょっとでちゃんと来てるんじゃないかと勝手に思い込んでいた私。
実際に記録を始めてみると、周期は35日〜45日で完全な生理不順。
基礎体温はガタガタで、高温期がほとんどないことがわかりました。
また、重度の多嚢胞性卵巣症候群で、一度に育つ卵胞は両卵巣をあわせて30個以上。
いずれの卵胞も大きく育つことはなく、無排卵の周期があることもわかりました。
一生に作られる卵子の数が決まっていることもその頃初めて知った私は心底恐怖しました。
排卵できない卵が一度の生理でたくさん作られて消えていく、このままでは私の卵、あっという間に枯渇しちゃうのでは…⁉

そこから、クリニックの指導によりクロミッド服用により排卵誘発を行い性交渉のタイミングをはかる、タイミング療法がスタートしました。
お互いの仕事も多忙を極める時期だったのにも関わらず、「今夜!」「明日の朝も!」と完全な義務感でセックスしなきゃいけない、あのなんとも言えない虚無感。
もうあんな思いはしたくないなぁ…。
救いは、夫の底知れぬポジティブさ。
「いつやるの?今日?よし、がんばろう!」
的な林修と松岡修造のコラボシンキングに、すごく救われました。
もしかしたら夫も無理して私を気遣ってくれてたのかもしれないな。
世の男性は女性よりよほどナイーブで「義務と思うとやる気も出ない」なんて話もまま聞くので、本当に感謝しています。

…と、それで授かることができればよかったのですがうんともすんともかすらない。
タイミング療法を淡々と半年以上続けてるうちに、ついに20代もあと僅か。
遅れ馳せながら、「このクリニックでこのまま続けてもダメなんじゃ…?」と思い始めました。

同様に不妊治療をしている友人は、治療実績に定評のある神奈川レディースクリニックに通っていて、近々ステップアップするといいます。

そもそもステップアップって??状態の私は本当に無知で、不妊治療に対して常に受け身でした。

そもそも私が通うクリニックは土日診療があるというだけで家から近くもない、普通の産婦人科
待合室にはお腹を大きくした幸せそうな妊婦さんもいます。
成り行きで通い始めて1年弱、ようやく私は不妊治療専門クリニックへ転院することを決めました。