人工授精2回目
2015年6月
人工授精2回目
生理周期5日目〜13日目
9日間毎日、HMGフジ150×1A 注射(卵胞育成)
14日目
子宮内膜 12mm
卵胞15mm,15mm, 中小サイズ27個
14日目
子宮内膜 12mm
卵胞 27mm,21mm,15mm, 中小サイズ22個
15日目
子宮内膜 13mm
卵胞 24mm,23mm, 他大サイズ9個、中サイズ3個
17日目
人工授精当日
HCG2000単位 注射(排卵誘発)
子宮内膜 13mm
卵胞 23mm,21mm,19mm, 他中小サイズ10個
精子濃度 2100万/ml(正常値:4000万以上)
運動率 52.4%(正常値:60%以上)
18日目〜4週間
ルティナス(膣剤)1日2錠
32日目(4w1d)
妊娠検査薬に陽性反応
38日目(5w0d)
胎嚢4個(8mm,8mm,7mm,7mm)
47日目(6w2d)
胎芽4個(9mm,6mm,5mm,?mm)
7w5d
胎芽4個(14mm,13mm,12mm,4mm)
心拍4個
9w2d
胎芽4個(28mm,26mm,23mm,6mm)
心拍3個(1個は測定不能)
10w1d
胎芽4個(34mm,35mm,37mm,5mm)
心拍3個
11w3d
胎芽4個(52mm,52mm,51mm,5mm)
心拍3個
2度目の人工授精は、当初なんと4つ子を授かりました。経過を観察するうちにそのうち1人は育たなくなり、3つ子という形で日に日に成長していきました。
人工授精による多胎妊娠リスクの説明は当然受けていましたが、まさかこんなに一度にたくさんの卵が授精、着床するものとは思いもよらず、今後どうなっていくのだろうと、希望と不安で混乱する毎日でした。
そんな中、先生から受けた提案は「減胎手術」。
私は身長150cmと小柄で、双子でもハイリスク。3つ子での妊娠継続は危険すぎる、とのことでした。
聞いたこともない言葉に、さらに混乱する私。
両家両親を巻き込んで、減らすの減らさないの論争になり、いつもは割と冷静な私も泣いて取り乱したりと、決断するまではしんどい日々が続きました。
決断のリミットは12週目。
それ以降は中期中絶となり、火葬などの法的手続きが必要となります。
人工授精1回目
2015年3月
人工授精1回目
生理周期5日目〜12日目
8日間毎日、フォリルモンp75×1A 注射(卵胞育成)
13日目
HCG5000単位 注射(排卵誘発)
子宮内膜 12mm
卵胞24mm,21mm, あと中小サイズのが21個
14日目
子宮内膜 12mm
卵胞 27mm,21mm,15mm, 中小サイズ22個
15日目
人工授精当日
HCG5000単位 注射(排卵誘発)
子宮内膜 13mm
卵胞 30mm,18mm, あと中小サイズのが15個
精子濃度 1700万/ml(正常値:4000万以上)
運動率 35.3%(正常値:60%以上)
16日目〜29日目
デュファストン1日3錠服用
30日目
妊娠検査薬に陽性反応
38日目
出血(40日目に5cmほどの血の塊)
血中HCG 54.3 IU/l
ということで、初めての人工授精は化学流産に終わりました。
振り返ってみると、人工授精当日には筆頭卵胞のうちの1個は既に排卵済だったのかしら??
先生は、排卵後でもむしろいいみたいなこと仰ってました。
夫の精子判定はやはりやや悪め。
この時期は仕事も激務で睡眠不足や栄養不足が祟ったのかもしれません。
それでも一応一度ははじめての(!)妊娠反応が出て、手応えを感じました。
また、妊娠反応があってすぐに夫と実母に連絡してしまったのですが、この頃はまだ流産の可能性を全く考慮していませんでした。
妊娠検査薬で陽性がでたらもう出産まで安泰に違いないと、根拠のない自信と喜びに溢れて。
この先「ここまで来たら大丈夫」が何度も裏切られることになるとは露知らず…
化学流産はとても残念でしたが、「赤ちゃんを失った」という感覚はほとんどなく、「いつもよりかなり重い生理にちょっと苦しんだけど、また次のチャンスに期待しよう」という何とも軽々しく、前向きな気持ちでした。
★ちなみにhCG測定
正常妊娠では、着床開始後まもなくhCGが検出され始め、妊娠4週0日で血中hCG値は100~200 IU/lとなり、5週0日には約2000~4000 IU/lと指数関数的に増加する。子宮外妊娠の場合は、着床部位が子宮体部内膜以外の部位でおこるので、hCGの産生、分泌量は正常妊娠時に比し低値を示す。超音波で胎嚢が検出可能となる血中hCG値のレベルは概ね1000~2000 IU/lとする報告が多く、2000 IU/l以上のhCG分泌がありながら子宮内の胎嚢を認めない場合は、子宮外妊娠を疑う。
とのことです。
(奈良県立医科大学 産婦人科ウェブ資料よりhttp://www.naramed-u.ac.jp/~gyne/menu60-30.html)
卵管造影検査
痛いとよく聞きます。
生理がめちゃめちゃ重いときみたい、とか
思わず悲鳴をあげた、とか。
そんな体験談を読んですっかりビビっていた私に、先生は「僕は上手だから。一瞬で終わるよ」と自信ありげ。
先生、基本的になんでも自信満々です。
頼もしい限りです。
で、実際、本当にあんまり痛くなかったです。
「思ったよりは」って程度で、そりゃ「うっ」と内心なりましたが‥。
私は特に詰まりなどもなかったようで、それも幸いしたのかもしれません。
卵管造影検査後数カ月は妊娠が期待できるゴールデン期間。
私もほんのり期待したのですが、撃沈。
数カ月を待つことなく、人工授精へステップアップとなりました。
不妊治療の基本のキ
アモルクリニックでまず先生に怒られたこと。
・夫の検査を何もしていなかったこと
・卵管造影検査など基本的な検査も受けずに、だらだらと何周期もタイミングをとったこと
・クロミッドを服用し続けることで身体にかかる負担に無自覚であったこと
どれもこれも、言われてみればもっともで、それだけにショックを受けました。
きっと最初からきちんと不妊治療に向き合っている方からしたら鼻で嗤うレベルでしょう。
不妊の原因が夫にもある可能性があること、思いもよりませんでした。
私にはっきりとした原因があるのだから、ここを補えばいいのだろうとばかり。
実際に精液検査をしてみたところ(その際ついでに?初の人工授精を受けました)、濃度、運動率、奇形率全て平均を大きく下回る結果に。
これでは自然妊娠できないわけです。
何度も同じ療法を繰り返しても意味がない、あなたは1年を無駄にしたどころか身体を悪くした、と言われました。
本当にそのとおり。
私の身体は当然、刻一刻と老いていくわけで。
卵管造影検査などひととおりの検査を順に受け、タイミングをとるのはその検査の期間だけ、ということで(卵管造影のあとは妊娠しやすいっていいますもんね。妊娠しませんでしたけどね。)、早々にステップアップしていくことに決めました。
不妊治療専門クリニックへ転院
転院を決めた私は、横浜市アモルクリニックを訪ねました。
理由は何より、家から近かったから。
当時新横浜に住んでいた私、クリニックまで徒歩7分。
口コミ情報によると、「院長先生の口が悪くて怖いけど、腕はよい」というような評価。
むむ。
まぁ腕がよくてちゃんと治療してもらえるのなら口が多少悪かろうが問題ない、と割りきることにしました。
後になってから知ったのですが、このクリニック、森三中の大島美幸さんも治療を受けたところだったようです。
受付に院長先生と大島さんのツーショット写真と著書が置いてありました。
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といっても、ビルの7階の小さなワンフロアという佇まいで、いつ行っても待合室には患者さんが数人だけ(ときには誰もいない)、という閑散とした雰囲気。
これはやはり、先生のお人柄のせい…?(失礼)
事実、不妊治療中の友人も一度このクリニックを受診したとのこと、「年齢のせいだ、今さら遅い」というようなことをばっさり宣告されショックを受け、「あそこには二度と行かない」と言っていました。
友人は私より少し年上なのですが、私はギリギリ30歳で受診したので、なんとかセーフ?だったのか、特に何も言われず。
それでも、このアモルクリニックとはその後長いつき合いになるわけですが、その中で何度かキツい言葉を受け、涙が溢れそうになったこともありました。
周囲の看護師さんたちが優しくて、すかさずフォローしてくれるんですけどね。
さすが、心得てるなぁとよけい涙が出たり。
それにズルいんですよね。
院長先生、ときどきすごく優しくて、なんだか可愛くて憎めないのです。
もう70歳近い先生、畑で野菜を自家栽培していて、クリニックの入口で販売するその野菜たちを、私もよくいただいていました。(どれもひと袋100円でちょうど手頃なんです)
「野菜、すごく美味しかったです」と診療の合間に伝えると、嬉しげな自慢げなその表情がなんとも。
何より、神奈川県内の他の人気の不妊治療クリニックは数時間待ちもザラというところ、このクリニックときたらほとんど待ち時間無しです。
毎日注射しに通っていたときなんて、ドアを開けてすぐ受付に座って腕を出して、ブスッと打たれてお会計、という流れで、正味3分、なんてことも。
(ここのクリニック、注射は基本的に入口からすぐの、受付横カウンター(目の前に待合席)で受けます。
受付で肩をガバッと出したりするので、付き添いの旦那さんがぎょっとしてる場面もちょくちょく見ました(笑))
メンタルケアより時短、必要十分、な私には願ったり叶ったりなクリニックで、忙しい仕事の合間にも通うことができました。
時間の融通もきかせてもらえて、受診時間外の早朝、出勤前に注射だけサッと打ってもらえたりと、本当に助かりました。
朝早くから痛い筋肉注射を受け続けること自体、だいぶ気が滅入るものでしたが、それでも。
そんなアモルクリニックに通い始めて、まず感じたのは「後悔」。
これまでの一年を振り返り、もっとなぜ早くここに来なかったのかと、後悔の嵐でした。
不妊治療に至るまで
同級生の夫と結婚したのは26歳の頃。
20歳の頃からのつきあいで長く同棲もしていたため、籍を入れたところで何が変わった感覚もありませんでした。
当時はお互いそれぞれの仕事に夢中で、夫は海外に単身赴任したりもしていて、それでも私も寂しいと感じる暇さえなく。
めいっぱい残業して同僚と飲みに行くのも気楽で楽しかったなぁ。
そんなこんなで「子どもはもうすこし先」と、夫婦で相談するでもなく考えること自体先送りにしていた28歳が終わる頃、私の身に異変が起こりました。
休日の昼下がり
外出先でひとりのんびりしていたところ下腹部に急な激痛が走り、声も出ず動けず、その場にうずくまってしまいました。
痛みの質と箇所から、なんとなく婦人科系かなと思った私は、その場で休日も診療している婦人科クリニックを探し、そのままタクシーでクリニックへ。
歩くどころか車の振動でも痛みを感じるほどでした。
診察結果は、多嚢胞性卵巣症候群による卵巣の腫れ。
たくさんの卵胞がひしめき合い卵巣が肥大しているとのことでした。
続いて、この症状が不妊の原因となり得ること、もし妊娠を希望しているのなら治療が必要なことを告げられました。
初めて聞く症状名に驚く間もなく「不妊」を突きつけられ、それまで特に妊娠を希望していたわけでもなかったのに急に自分の年齢に焦りを覚え、混乱しながらもその場で不妊治療を希望しました。
まずは基礎体温を記録すること。
恥ずかしいことに、私は自分の生理周期すら把握していませんでした。
なんとなく1ヶ月ちょっとでちゃんと来てるんじゃないかと勝手に思い込んでいた私。
実際に記録を始めてみると、周期は35日〜45日で完全な生理不順。
基礎体温はガタガタで、高温期がほとんどないことがわかりました。
また、重度の多嚢胞性卵巣症候群で、一度に育つ卵胞は両卵巣をあわせて30個以上。
いずれの卵胞も大きく育つことはなく、無排卵の周期があることもわかりました。
一生に作られる卵子の数が決まっていることもその頃初めて知った私は心底恐怖しました。
排卵できない卵が一度の生理でたくさん作られて消えていく、このままでは私の卵、あっという間に枯渇しちゃうのでは…⁉
そこから、クリニックの指導によりクロミッド服用により排卵誘発を行い性交渉のタイミングをはかる、タイミング療法がスタートしました。
お互いの仕事も多忙を極める時期だったのにも関わらず、「今夜!」「明日の朝も!」と完全な義務感でセックスしなきゃいけない、あのなんとも言えない虚無感。
もうあんな思いはしたくないなぁ…。
救いは、夫の底知れぬポジティブさ。
「いつやるの?今日?よし、がんばろう!」
的な林修と松岡修造のコラボシンキングに、すごく救われました。
もしかしたら夫も無理して私を気遣ってくれてたのかもしれないな。
世の男性は女性よりよほどナイーブで「義務と思うとやる気も出ない」なんて話もまま聞くので、本当に感謝しています。
…と、それで授かることができればよかったのですがうんともすんともかすらない。
タイミング療法を淡々と半年以上続けてるうちに、ついに20代もあと僅か。
遅れ馳せながら、「このクリニックでこのまま続けてもダメなんじゃ…?」と思い始めました。
同様に不妊治療をしている友人は、治療実績に定評のある神奈川レディースクリニックに通っていて、近々ステップアップするといいます。
そもそもステップアップって??状態の私は本当に無知で、不妊治療に対して常に受け身でした。
そもそも私が通うクリニックは土日診療があるというだけで家から近くもない、普通の産婦人科。
待合室にはお腹を大きくした幸せそうな妊婦さんもいます。
成り行きで通い始めて1年弱、ようやく私は不妊治療専門クリニックへ転院することを決めました。